筆者は退屈しきっていた。志を持ってマニア雑誌を作ろうにも、志に金を使うことを出版社は喜ばないし、そもそも、そんなものに金を使える余裕もなかった。マニア雑誌は儲かったが、それゆえにマニア雑誌は儲けなければならなかったのだ。
サイト鹿鳴館を作った男も儲けたいという思いは同じだった。ところが彼には遊び心があった。その遊び心は筆者が金儲けに熱中するあまりに忘れていたところのものだった。
筆者がサイト鹿鳴館を最初に見たとき、大きな洋館の両隣に蝋燭の灯る絵がトップとして出て来た。SМ雑誌がしばらく忘れていたファンタジーだった。インターネットではこんなことが許されるのか、と、筆者は思った。マニア雑誌の表紙でそんな分かり難いものを作ったら怒られるところだし、筆者が編集長なら怒って却下するところのものだった。もちろん、版権については怪しいものだった。そして、いいのはトップページだけで一歩でも中に入ると、そこがマニアとは名ばかりの売春宿と知れる。
これを立て直すのは大変だと筆者は思った。しかし、やりたかった。同じ時に、筆者はSМ界の重鎮に誘われて、新しいマニア雑誌を作ることになる。かなりの権限を持たされての仕事だった。しかし、意欲はなかった。どうして、そこで、また金儲けをしなければならないのかが筆者には理解できなかったのだ。その重鎮が筆者は好きだった。マニアとしても、一人の男としても好きだった。だから作りたかった。彼を驚かせるようなものを作りたかった。しかし、出版社にはその意思はなかったし、そもそもマニアにも活字にも興味がないようだったのだ。
同時に仕事をすれば筆者の比重は偏ることになる。仕方なかったのだ。筆者は捨てられなかったのだから、館の絵と揺れる蝋燭の絵を。